「卒業旅行に中東まわりたいんですけど、エジプトとかなら大丈夫ですよね?」

というメールを(しかも女の子から)もらったので、

「行・く・な」

とだけ返事しといた。

「ア・ホ・か」と送ろうとも考えたけど(笑)、

はっきり止めた方がいいかと思って。




だってさ、向こう行って何かあったら、出発前に少しでも関わった人はみんな悔やむじゃん。

「何であのとき無理にでも止めなかったんだろう?」
「あのとき引き留めなかった自分のせいだ」って。

だから後藤さんや湯川さんの周囲の人たちは「彼の自己責任」とは思えないだろうなあ。
みんな「私の責任」を感じているはず。




ところで、騒がしい「自己責任論」「安倍責任論」について国語的に整理してみようか。



「責任」という言葉には意味が二つあって、日常的にはごっちゃに使われている。

1 誰のせいなのか
2 誰が後始末するのか


一般的にこの二つは同じだと思われがち。
たとえば物を壊したら、壊した人が弁償する。
原因を作った人と後始末をする人は同じだ。

でも、小さな子供が高額な骨董品を壊したら、その子の代わりに親が弁償するしかない。
原因を作った人と後始末をする人が別というケースはよくあること。


さて、シリアとか行って捕まっちゃった場合、

1 誰のせいなのか=行った本人のせい
2 誰が後始末するのか=本人や家族が何とかできる相手ではないので、国が対処するしかない。

やっぱり原因を作った人と後始末をする人は別。


後藤さんや湯川さんの件で「自己責任だ」と言う人は、たぶん「1 誰のせいなのか」の意味で「本人が原因を作った」と言いたいんだよね。

で、「自己責任と言う人に反対」という人は「2 誰が後始末するのか」の意味で「国が救出するべきだ」と言いいたいはず。


価値観や思想の違い以前に、言葉の定義がズレているんだよ。

(後藤さんが拘束前の映像で言っていた「私の責任」がどっちの意味だったのかは、今となってはわからない)




これから紛争地帯や雪山登山に行く人は一筆書いてから行くべきだよね。



1 この行動は(私の意志です/○○のせいです)。

2 万一拘束されたら救出(してください/しないでください)。



「俺の意志で行くけど、何かあったら国が助けてね♪」という人をどう扱うかという問題はまた別の話になるか。