今年の東北大の国語は攻めてたねえ。
(受験生はママの付き添いが多すぎてニュースになってたけど・笑)



問5 筆者はM教授の講義でラテン語が用いられていたことをどのように評価しているのか。



そんな結論、どこにも直接書いてねーし!!(笑)

〈まとめる〉派の人たちは面食らうよなあ。いい問題だ☆



強いて挙げれば、

第一段落でのエピソードの中には「わたしには『ブタに真珠』『ネコに小判』の類いであった。」と書いてあるし、
第二段落では「まったく実用性を喪失している」とも書いてある。

だから表面的に読めばラテン語を中心とする古典的な教養を全否定しているようにも見えるんだよね。
駿台の解答はこの立場。


代ゼミでも会議で意見が割れたんだけど、いわゆる教養(哲学とか文学とか)が好きな人はこの文章を
「近代化に対する古典的教養の抵抗」
と解釈するみたいなんだよね。
河合塾の解答はこの立場。


でもこの文章は最後のドラッカーの話をよく読めばずいぶん違う展開になる。

ドラッカーは1993年に「新しい教養」を「各自の専門的知識を一般化できること」と定義し直した。
実際、それから20年経った現在、世の中のキーワードは「シェア」だよね。

古典的教養は
1 普遍性に通じる知識(ラテン語、人文学)を
2 一部のエリートが独占する

ドラッカーによる新しい教養は
1 各自の専門的知識を
2 シェアできる能力

こう分類すると、ラテン語および古典的教養は
1 専門的知識としては時代遅れ
2 シェア(普遍化)のヒントとして必要

というプラスとマイナスで評価されるんじゃないだろうか?


東北大は去年も今年も「ただの反近代じゃないポストモダン」というテーマが続いている。


代ゼミの会議は俺の「プラス・マイナス」説と他の先生の「古典派の抵抗」説で割れたので、あとの判断は国語科の職員のみなさんに預けて逃げてきた(笑)
だって、腹減ってたんだもん。


現時点で代ゼミはまだ発表してないけど、結局どう決まったんだろう?