惜しいなあ、大発見だと思ったんだけどなあ。。。




自分ではいわゆる「若者の言葉の乱れ」には寛容な方だと思ってる。

「食べれる」は「食べられる」が正しいというけど、それだと「食べることができる(可能)」なのか「赤ずきんちゃんがオオカミに食べられる(受け身)」なのか紛らわしい。
だから可能の方を「食べれる」と変形して区別することは理に適っている。

言葉の「乱れ(変化)」には合理的な理由があるもんだ。




ところが、そんな寛容な俺でもこれだけは我慢がならない。

「ちげー、ちがくて、ちがくなる」

「違う」は本来ワ行五段動詞。

でも「ちがくて」は「大きくて、白くて」と同じ形容詞の活用だ。

「ちげー」も「すげー、でっけー、うめー」と同じ、形容詞のエ音便。

動詞なのに形容詞の活用という、特殊な「乱れ(変化)」なんだよね。





で、ここからが最近いくつかの場所で話した俺の最新仮説☆




動詞「違う」を形容詞的に活用したくなる人にも、何か合理的な理由があるはずだ。

本来「違う/違わない」は白黒どっちか。中間はない。
正解でないものは全部不正解で、0点だ。

一方、形容詞では「大きい/小さい」の間に「ほどほど大きい」とか「やや小さい」とかいくつもの段階がある。つまり程度の違い。

ということは、「ちげー」の方がしっくりくるという人って

「正解と不正解は程度の違い」だと思ってるんじゃないのか???

まさか正解と不正解の間にグレーな中間があるとでも思ってるんじゃないのか???

動詞「ちがう」の形容詞化は正解/不正解を「相容れないもの」ではなく「程度の違い」とみる概念の変化を反映しているのではないのか???

「ちげー」を多用する生徒ほど正解に対する執念が薄いような気がしてたけど、その理由はここにあったか!




これって大発見じゃね?!



以上が俺が最近立てた仮説だったんだけど、

このイグノーベル賞ものの仮説を一撃で崩す鋭い質問が。


「でも先生、『正しい』も形容詞じゃないすか?」


ハッ Σ( ̄Д ̄;

・・・。



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