もしかしたら一部の人以外には意味不明なこのシリーズ(笑)

せっかくなので(三)までやっちまうか!

2011年07月11日 東大の問題を解いてみよう
2012年06月30日 東大の問題を解いてみよう2



引き続き、1984年の東大の問題、西部邁「経済倫理学序説」。

後半は、社会科学の役割についての話。

ざっくり要約すると、

1 自然科学と文芸・人文を架橋するのが社会科学の役割。
2 ロゴスでああるはずの自然科学には技術信仰というミュートス(物語性)が含まれ、ミュートスであるはずの芸術は市場的計算というロゴスを含んでいる。
3 社会科学は両者の化合を目指して独自の文体を練る。これが緊張をはらんだ作業でないはずがない。



で、傍線部は最後の一文。

《社会科学がはたしてサイエンスになりうるか、それともエッセイにすぎないのか、などという二者択一の議論は、この緊張に堪えられないことの証左であろう。》



(三)「この緊張に堪えられないことの証左であろう」(傍線部ウ)とあるが、どのような理由によってそのように言えるのか、説明せよ。




さて、毎度おなじみ『東大の現代文25カ年』の解答。

【二者択一の議論は、科学的理性と文学的感性の絶妙な混合あるいは化合を求めて、独自の文体を煉るという社会科学の作業の緊張に堪えられず、どちらか片方だけを選ぼうとするものだから。】

「緊張に堪えてないと言えるのはなぜか」と聞かれて「緊張に堪えられないから」って、同語反復だよね。答えになってないよね。

それに「どちらか片方だけを選ぼうとするものだから」も「二者択一」をくり返しただけだし、
これだけでは、なぜ緊張から逃げたことになるのか説明できてない。

だって、日常的には片方だけを選ぶ方が緊張を強いられることが多いじゃん。
(三角関係の修羅場になったとき、AランチもBランチも美味しそうだったとき、選択肢で2つまで絞って迷ったとき)



この設問の意図は「社会科学の難しさ、二者択一の安易さ」を示すことなんじゃないかな。

文中に書いてある、社会科学がやっていることは次の二つ。
1 自然科学の中にミュートスを、文芸・人文の中にロゴスを見出すこと。
2 独自の文体を創り出すこと。

意外なものを発見するのも、新しいものを生み出すのも、難しいことだよね。緊張をはらむよね。



(斬新すぎる音楽作ってライブで初披露するのって緊張するぞ。理解されなかったときの客席のどん引き具合は何年経っても夢に出てくる・汗)



これと対比すると、本文にははっきり書かれてないけど二者択一がやっていることは次の二つになる。
1 自然科学はロゴス、文芸・人文はミュートスとしか見ていない。
2 従来の文体を借りただけ。


というわけで、俺の解答。

【自然科学の中に物語を、人文科学の中に論理を発見した上でそれらを結ぶ独自の文体を新たに作り出すという二重の挑戦をせず、科学は論理、文学は物語という表面的な観察にとどまり既存の文体を借用しているに過ぎないから。】


比較のために、『東大の現代文25カ年』の解答をもう一度。

【二者択一の議論は、科学的理性と文学的感性の絶妙な混合あるいは化合を求めて、独自の文体を煉るという社会科学の作業の緊張に堪えられず、どちらか片方だけを選ぼうとするものだから。】



(一)と(二)は、「どういうことか」と聞かれてるのに因果関係を埋めないと答えにならないので、確かにレベルの高い問題だったよね。

でも(三)は逆に「理由」を聞かれてるけど、因果関係は必要ない。むしろ「まとめる」系の問題だ。
(はっきり書いてないことを埋める必要はあるけど)

(一)(二)よりずっと簡単だと思うんだけどなあ。。。