1年前、赤本の解答に噛みついた記事を書いたんだよね。
2011年07月11日 東大の問題を解いてみよう

そしたら先日、高3さんから残りの設問の答えも聞きたいというリクエストがあったので、ここで答えよう。



1984年の東大の問題、西部邁「経済倫理学序説」。

前半をざっくり要約すると、「真面目ばっかりじゃダメ。遊びも必要」という話。




(二)「両者のあいだの相互浸透」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。


この文脈での「両者」とは
前者=日常的で真面目な仕事(パン)
後者=非日常的で真剣な遊び(サーカス)

ここまでは本文を読めば誰でもわかる。
誰でもわかるレベルで「東大の解答」を作ってしまったのが、『東大の現代文25カ年』だ。

【日常的な真面目な仕事であるパンが非日常的なものを含み、非日常的な真剣な遊びであるサーカスが日常性をひきずっていること。】

「含み」「ひきずっている」だけでは仕事と遊びの間にただ共通点があるだけなのか、因果関係があるのかがわからないよね。

つーか、「パンが含む非日常的なもの」って何だよ???



この設問の中心は「両者」よりも「相互浸透」の方じゃないか?



傍線部「両者のあいだの相互浸透」の直後に書いてあるのは

《飛行機は翼ある蛇という空想の産物》
《スカイ・スクレイパーはタワー・オブ・バベルという野望の産物》(スカイスクレイパーとは高層ビル街、バベルの塔は聖書に出てくる天まで届く塔の神話のこと)

これらは「空想という遊びが、現実になった」という例。
つまり「遊び→仕事」という因果関係だ。


わかりにくいのが次の例だね。

《あれこれの芸能が退屈な余暇消費の手段と化している》

芸能とは舞踊や演劇や音楽のこと。

これらはいまでこそエンターテインメントだけど、もともとは神様に捧げられていたものだ。だから神社には能舞台がある。
(本文にはここまで書かれていないけど←ここ重要!)

宗教儀式を非日常とか遊びとか呼んじゃいけないよ。
豊作や国家安寧という現実的なご利益を祈願していたんだから、これは実務だ。

つまりこの例は「真面目な実務から、宗教性が抜けて娯楽になった」という話。
「仕事→遊び」という、さっきとは逆向きの因果関係だね。


もちろん、「芸能=宗教的儀式」まで思いつかなくても、たとえば田植え歌は農作業のテンションを上げるために歌われたし、トランペットは戦場で合図をするために使われたように、要は「何か実用のためだったんだな」程度の理解で十分。



そこで俺の解答。
【非日常的な空想を基にして現実的事物が発明されたり、舞踊や音楽から宗教性や実用性が忘れられて娯楽と化したりしたこと。】


比較のために、『東大の現代文25カ年』の解答をもう一度。
【日常的な真面目な仕事であるパンが非日常的なものを含み、非日常的な真剣な遊びであるサーカスが日常性をひきずっていること。】




こういう風に解答が割れるのは、本文の中で「芸能」についての説明が省かれているのが原因なんだよ。

赤本は「本文に書いてあることを根拠にするべきだ」という思想で作られている。
だから必然的に上のような解答になる。

読み方とかまとめ方の能力差じゃなく、根本的な思想の違いなんだよ。