眠れるライオンもたまには起きるっ

もともと国語講師・鈴木鋭智が受験生を励ましたり冷やかしたりするブログでしたが、最近はアシスタントが近況をお伝えしています。

具体的に、具体的に

 小論文の添削をしていて一番頻繁に書き込む言葉、「もっと具体的に」。
 初心者の文章に一番欠けているのが「誰が、何が、何を」という具体性だ。こざかしい表現技法なんか覚えるより、とことん詳しく具体的に書く訓練をした方が確実に点数は上がるはず。

 「高校ではサッカー部に在籍し、精神力を養いました」

 精神力とは何だ? 辛くても我慢することか、ピンチになっても動揺しないことか、甘い誘惑を拒み自分を律することか。
 さらに、実際にはどんな経験があってそれらを身に付けたのか?

 「高校ではサッカー部に在籍しました。地区大会ではロスタイムでの逆転勝ちを三度も経験したため、ピンチに陥っても動揺せず、楽観的に打開策を考えようとする思考がチーム全員に身に付きました」

 具体的に書くと、第一に信憑性が増す。そして第二に字数が増える。
 書くことがなくなって苦し紛れに関係ない話を継ぎ足したりするときは、大抵その前の部分で具体的な記述が足りないときだ。

 初心者のうちは、とにかく詳しく細かく記述する努力をした方がいい。ダラダラと長ったらしい部分は添削で削られるかも知れないが、説明不足で「意味不明」などと減点されるよりはよっぽどいい。実際に何度も書いているうちに、必要な記述と無駄な部分の区別はついてくるものだ。(その辺のバランスについては別な機会に詳しく解説しよう)

 最近は小論文もパソコンで書いて持ってくる高校生が増えているが、入試のことを考えると普段から手書きの方がいい。手書きは体力が要る。だからパソコンに慣れている人が急に手書きになると、疲れるのでついつい言葉を省略してしまう傾向があるのだ。その結果、具体性に欠けた薄っぺらい文章になってしまう。入試本番は手書きだ。使いやすい筆記具を見つけて、手書きで詳しく書く体力をつけよう。

二酸化炭素の「炭素」

Q:石油は自然界から取れるものなのに、どうして環境に悪いんですか?

A:そもそも石油や石炭といった化石燃料はどこから来たのかという話から始めよう。
 石炭は大昔の植物が地中に堆積したもの、石油は動物の死骸が堆積したものと考えられている。

 ポイントは炭素。

 大気中の二酸化炭素(CO2)を植物が吸収して酸素(O2)を出す。ということは炭素(C)が残る。植物はその炭素を使って自分の身体を大きくしていく。草も木も小麦粉も、加熱すると黒く焦げるのは炭素で出来ているからだ。
 その植物を動物が食べる。植物が空気中から炭素を取り入れているのに対し、動物は植物を食べることによって炭素を取り入れる。その炭素で動物も自分の身体を大きくする。焼き肉も焼きすぎると黒こげになるのは、動物も炭素で出来ているからだ。

 大昔、地球上の大気の二酸化炭素濃度は現在の数百倍とも数千倍とも言われており(ちなみに現在は0.037%。5%を超えると人体には危険)、気温も60度以上と、とても生物が住めるような環境ではなかった。それを何億年もかけて古代の植物が光合成して二酸化炭素を酸素と炭素に分離し、炭素を体内に取り込んでは地中に埋もれていった。植物を食べた動物も埋もれていった。
 その結果、大気には酸素が増え、二酸化炭素は減ったのだ。つまり大気中の炭素を何億年もかけて地中に閉じ込めたことになる。これが化石燃料だ。

 しかし近代以降、人類はその化石燃料を掘り起こし、燃やすことで再び炭素を放出し始めた!

 これを続けていくとどうなるか想像つくだろうか?
 せっかく何億年もかけて地中に閉じ込めた炭素を、すべて燃やし尽くして二酸化炭素に変えてしまう。それは太古の地球の大気に戻るということだ。酸欠で気温が百度を超えて恐竜も住めないような原始地球に。

 これが、地球温暖化の最終ゴールだ。


 ちなみに、このように大気→植物→動物→化石燃料→大気と、炭素が姿を変えながら移動することを「炭素循環」と呼ぶ。最近話題のバイオ燃料を考えるときも、この「炭素循環」という発想が必要だ。これについてはまた別の機会に。

士農工商

 「『士農工商』って、何の順番?」と聞くと、ほとんどの人は「偉い順番」と答える。
 「じゃあ何で農民が二番目なの?」と聞くと、今度は「本当は農民が一番下なんだけど、それだと農民が不満に思って一揆を起こすから二番目にしてあげた」と言う。

 ならば、商人も暴動を起こすはずではないか。
 あるいは商人は職人に土下座するはずではないか。序列的に。

 実は「士農工商」は身分を表す言葉ではない。
 「士」 土地を所有しているのは武士
 「農」 その土地で作物を作るのは農民
 「工」 農産物である藁や麻、綿を製品に加工するのは職人
 「商」 出来上がった製品を販売するのは商人
 つまり「士農工商」は身分ではなく、生産の順番なのだ。

 では、なぜこの言葉が身分を表すものと考えられるようになったのか。
 もともと中国でこの言葉が作られた頃、中国で商人は軽蔑される職業だったという。なぜなら右から来たモノを左に受け流すだけで利益を得ているから。農民や職人のようにモノを生産しないのにずるい、という発想だ。ということは、上記の「生産の順番」に即していると理解できる。
 日本では、意外かも知れないが室町時代まで武士と農民の区別ははっきりしていなかった。普段は自分の土地で農業をやり、戦になったら武器を持って駆けつける「兼業農家」あるいは「兼業武士」が戦力の大部分だったのだ。
 のちに豊臣秀吉が刀狩り令を出して戦闘員である武士と非戦闘員である農民をはっきり分けた。こうなると「支配階級の武士」と「非支配階級の農民その他」という区別ができてしまう。
 さらに江戸時代になると儒教の一種である朱子学が広まる。儒教というのは人間の上下関係を重んじる道徳だ。この影響もあって「士農工商」の意味は身分制度にすり替わってしまったのだ。

 実際には、「町人」に分類される職人と商人の多くは農家の次男や三男であった。長男が田畑を相続するのでそれ以外の息子は別な働き口を見つけるしかなかったのだ。だから農・工・商の間には身分の上下関係はない。町人が農民を軽んじるということはなかったのだ。あるとしたら、金持ちが貧乏人を馬鹿にすることだが、この場合は貧乏武士も金貸しの商人に頭を下げていた。身分とは別の構図だ。

核家族化

 「昔は大家族制で、年寄りから孫へのしつけや知恵の継承があった。それに比べて核家族化の進んだ現代の日本は…」
 現代文のテストではよくこのような文章が登場する。しかし、これは間違っている。

 昔は大家族制だったというが、本当にそうか?
 たとえば「まんが日本むかしばなし」。
 「むか〜し、むかし、あるところに、爺さまと婆さまがおったそうな」
 老夫婦二人暮らし。息子夫婦たちはどこに行ったんだ?
 たとえば時代劇。
 「ゴホッ、ゴホッ、すまないねえ、おまえにばかり苦労させちまって」
 「それは言わない約束でしょ、お父っつぁん」
 父子家庭だ。

 実際、農村部でも一つの屋敷に兄弟それぞれが嫁と子供を伴って住むということは一般的ではなかったはず。一つの農地を兄弟で相続したら、どんどん土地が分割されて貧乏になってしまうため、長男が全部相続して次男三男は商人や職人になるしかない。
 ということは長男の家が三世代同居になることはあっても、他の息子たちは独立して核家族を構成したことになる。しかもいまより子供の数が多い時代、息子の数だけ核家族が増える計算になる。

 ではなぜ「昔は大家族、いまは核家族」というイメージが出来てしまったのか。
 「核家族化はいつから始まった?」と聞くと、ほとんどの人は「うーん、昭和40年代から?」と答える。
 実はここにヒントがある。犯人は、「サザエさん」だ。

 「昔の家族はよかったな」的な話題でよく引き合いに出されるのが「サザエさん」。磯野家とフグ田家だ同居して三世代が和気あいあいと暮らす姿が、古き良き昭和の面影を残すんだと。

 実は「サザエさん」の原作によると、最初の新聞連載が始まったとき、サザエさんはまだ未婚。波平とフネとその子供たちという、核家族なのだ。
 その連載はサザエとマスオが結婚するところで一旦終了する。ゴールインで連載終了というのは区切りをつけるためにもよくある展開だ。
 再び連載が始まったとき、サザエ、マスオ、タラのフグ田家は三人で借家暮らしをしていた。だが大家さんとのトラブルで借家を追い出され、仕方なく実家の磯野家に転がり込んでくる。つまりこの二世帯同居は一時的な緊急措置だったのだ。
 ところがその後、「サザエさん」はテレビアニメ化される。こうなると「ドラえもん」同様、登場人物は年を取らなくなってしまう。本来ならばフグ田家は次の住まいを見つけて出て行き、成長したワカメも嫁に行き、最終的には波平、フネ、カツオの三人家族になるはずだ。しかし一時的な二世帯三世代同居が何年もテレビで映し出されているうちに、「これが昭和の一般的家庭」と思い込まれるようになってしまった。

 家族というのは、基本的に核家族なのだ。最近になって増えたわけではない。現代人の生き方や子育ての環境、教育環境が変わったとしたら、核家族化とは別なところに問題があると考えるべきだ。

 現代文の問題に書いてあることを鵜呑みにしてはいけない。あれは正しいから採用されているのではなく、読みにくいからテストに使われているに過ぎない。受験生のみんなは問題を解くのでいっぱいいっぱいだろうが、われわれ国語講師から見ると、内容的には間違っていたり偏っている文章は多いものだ。

小論文の思考法 初級

Q:小論文って、何を書けばいいのかわかりません。つーか、作文とか感想文と何が違うんですか?

A:小論文とは、「問題を発見し、解決する文章」である。

 よく言われるのが「自分の意見に根拠も付けて論じる文章」という定義だが、ここで高校生が悩んでしまうのが、「自分の意見って、何だろう?」ということだ。
 「今日は天気が悪い」
 これは「意見」だろうか? いや、これは天気という「事実の説明」だ。
 「今日は天気が悪くてがっかり」
 これは「意見」だろうか? いや、これは「感想」だ。
 「今日は天気が悪いから、傘を持って出かけよう」
 ここまできて、やっと「意見」と呼べる。天気が悪いという「問題」を発見し、傘を持って出かけるという「解決策」を提示する。「意見」とは「問題解決をすること」なのだ。
 ここをはっきりさせておかないと、「意見を述べよ」と言われても何を言ったらいいのか見当がつかなかったり、せいぜい「ムカつきます」程度の感想しか言えないということになってしまう。

 ここまで理解すると、小論文の上達法が見えてくる。身の回りのいろいろなことに「問題を発見」し、「解決策を考える」のだ。通学途中のバスの不便な点、学校の規則の不合理なこと、最近ギクシャクしているクラスの人間関係、なぜか伸びない自分の成績など、世の中には「問題点」が溢れているはずだ。それをそのまま放置せず、頭の中だけでも「解決策」を考えてみる。これだけでも小論文の思考法が身に付くはずだ。


【例題】
 ある学校で生徒会長選挙が行われることになりました。あなたが立候補することになったとして、立会演説会の原稿を書きなさい。

【悪い例】
 私は二年間、卓球部で粘り強さとチームワークを学んできました。このたび仲間の応援によって生徒会長という責任の重い役目に立候補することになりましたが、私なら卓球部で鍛えたリーダーシップを発揮し、生徒会をまとめていけると思います。また私が生徒会長になったら全校生徒一人一人の意見を尊重し、生徒による生徒のための生徒会を実現します。みんなが勉強や部活に頑張れるような活気ある学校をいっしょに作っていきましょう。

〈悪い点〉
・「一人一人の意見を尊重」して何をするのかが述べられていない。
・「みんなが勉強や部活に頑張れるような活気ある学校」をいま目指す必要性が述べられていない。


【良い例】
 本校では文化祭と体育祭が毎年交互に開催されます。学年によっては文化祭を一度しか経験しないため、文化部に入っても発表の場が限られます。同じように体育祭が一度しかない学年からも不満の声が上がっています。
 そこで私が生徒会長になったら、学校側と交渉して文化祭と体育祭両方の毎年開催を実現します。そのためにまず全校生徒の声をアンケートと署名という形で集め、さらに開催の具体的計画を発表するつもりです。

〈良い点〉
・文化祭と体育祭が毎年開かれないという、学校の問題点を発見、指摘している。
・署名を集めて学校と交渉するという、解決策が具体的に述べられている。
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