眠れるライオンもたまには起きるっ

もともと国語講師・鈴木鋭智が受験生を励ましたり冷やかしたりするブログでしたが、最近はアシスタントが近況をお伝えしています。

士農工商

 「『士農工商』って、何の順番?」と聞くと、ほとんどの人は「偉い順番」と答える。
 「じゃあ何で農民が二番目なの?」と聞くと、今度は「本当は農民が一番下なんだけど、それだと農民が不満に思って一揆を起こすから二番目にしてあげた」と言う。

 ならば、商人も暴動を起こすはずではないか。
 あるいは商人は職人に土下座するはずではないか。序列的に。

 実は「士農工商」は身分を表す言葉ではない。
 「士」 土地を所有しているのは武士
 「農」 その土地で作物を作るのは農民
 「工」 農産物である藁や麻、綿を製品に加工するのは職人
 「商」 出来上がった製品を販売するのは商人
 つまり「士農工商」は身分ではなく、生産の順番なのだ。

 では、なぜこの言葉が身分を表すものと考えられるようになったのか。
 もともと中国でこの言葉が作られた頃、中国で商人は軽蔑される職業だったという。なぜなら右から来たモノを左に受け流すだけで利益を得ているから。農民や職人のようにモノを生産しないのにずるい、という発想だ。ということは、上記の「生産の順番」に即していると理解できる。
 日本では、意外かも知れないが室町時代まで武士と農民の区別ははっきりしていなかった。普段は自分の土地で農業をやり、戦になったら武器を持って駆けつける「兼業農家」あるいは「兼業武士」が戦力の大部分だったのだ。
 のちに豊臣秀吉が刀狩り令を出して戦闘員である武士と非戦闘員である農民をはっきり分けた。こうなると「支配階級の武士」と「非支配階級の農民その他」という区別ができてしまう。
 さらに江戸時代になると儒教の一種である朱子学が広まる。儒教というのは人間の上下関係を重んじる道徳だ。この影響もあって「士農工商」の意味は身分制度にすり替わってしまったのだ。

 実際には、「町人」に分類される職人と商人の多くは農家の次男や三男であった。長男が田畑を相続するのでそれ以外の息子は別な働き口を見つけるしかなかったのだ。だから農・工・商の間には身分の上下関係はない。町人が農民を軽んじるということはなかったのだ。あるとしたら、金持ちが貧乏人を馬鹿にすることだが、この場合は貧乏武士も金貸しの商人に頭を下げていた。身分とは別の構図だ。

核家族化

 「昔は大家族制で、年寄りから孫へのしつけや知恵の継承があった。それに比べて核家族化の進んだ現代の日本は…」
 現代文のテストではよくこのような文章が登場する。しかし、これは間違っている。

 昔は大家族制だったというが、本当にそうか?
 たとえば「まんが日本むかしばなし」。
 「むか〜し、むかし、あるところに、爺さまと婆さまがおったそうな」
 老夫婦二人暮らし。息子夫婦たちはどこに行ったんだ?
 たとえば時代劇。
 「ゴホッ、ゴホッ、すまないねえ、おまえにばかり苦労させちまって」
 「それは言わない約束でしょ、お父っつぁん」
 父子家庭だ。

 実際、農村部でも一つの屋敷に兄弟それぞれが嫁と子供を伴って住むということは一般的ではなかったはず。一つの農地を兄弟で相続したら、どんどん土地が分割されて貧乏になってしまうため、長男が全部相続して次男三男は商人や職人になるしかない。
 ということは長男の家が三世代同居になることはあっても、他の息子たちは独立して核家族を構成したことになる。しかもいまより子供の数が多い時代、息子の数だけ核家族が増える計算になる。

 ではなぜ「昔は大家族、いまは核家族」というイメージが出来てしまったのか。
 「核家族化はいつから始まった?」と聞くと、ほとんどの人は「うーん、昭和40年代から?」と答える。
 実はここにヒントがある。犯人は、「サザエさん」だ。

 「昔の家族はよかったな」的な話題でよく引き合いに出されるのが「サザエさん」。磯野家とフグ田家だ同居して三世代が和気あいあいと暮らす姿が、古き良き昭和の面影を残すんだと。

 実は「サザエさん」の原作によると、最初の新聞連載が始まったとき、サザエさんはまだ未婚。波平とフネとその子供たちという、核家族なのだ。
 その連載はサザエとマスオが結婚するところで一旦終了する。ゴールインで連載終了というのは区切りをつけるためにもよくある展開だ。
 再び連載が始まったとき、サザエ、マスオ、タラのフグ田家は三人で借家暮らしをしていた。だが大家さんとのトラブルで借家を追い出され、仕方なく実家の磯野家に転がり込んでくる。つまりこの二世帯同居は一時的な緊急措置だったのだ。
 ところがその後、「サザエさん」はテレビアニメ化される。こうなると「ドラえもん」同様、登場人物は年を取らなくなってしまう。本来ならばフグ田家は次の住まいを見つけて出て行き、成長したワカメも嫁に行き、最終的には波平、フネ、カツオの三人家族になるはずだ。しかし一時的な二世帯三世代同居が何年もテレビで映し出されているうちに、「これが昭和の一般的家庭」と思い込まれるようになってしまった。

 家族というのは、基本的に核家族なのだ。最近になって増えたわけではない。現代人の生き方や子育ての環境、教育環境が変わったとしたら、核家族化とは別なところに問題があると考えるべきだ。

 現代文の問題に書いてあることを鵜呑みにしてはいけない。あれは正しいから採用されているのではなく、読みにくいからテストに使われているに過ぎない。受験生のみんなは問題を解くのでいっぱいいっぱいだろうが、われわれ国語講師から見ると、内容的には間違っていたり偏っている文章は多いものだ。

小論文の思考法 初級

Q:小論文って、何を書けばいいのかわかりません。つーか、作文とか感想文と何が違うんですか?

A:小論文とは、「問題を発見し、解決する文章」である。

 よく言われるのが「自分の意見に根拠も付けて論じる文章」という定義だが、ここで高校生が悩んでしまうのが、「自分の意見って、何だろう?」ということだ。
 「今日は天気が悪い」
 これは「意見」だろうか? いや、これは天気という「事実の説明」だ。
 「今日は天気が悪くてがっかり」
 これは「意見」だろうか? いや、これは「感想」だ。
 「今日は天気が悪いから、傘を持って出かけよう」
 ここまできて、やっと「意見」と呼べる。天気が悪いという「問題」を発見し、傘を持って出かけるという「解決策」を提示する。「意見」とは「問題解決をすること」なのだ。
 ここをはっきりさせておかないと、「意見を述べよ」と言われても何を言ったらいいのか見当がつかなかったり、せいぜい「ムカつきます」程度の感想しか言えないということになってしまう。

 ここまで理解すると、小論文の上達法が見えてくる。身の回りのいろいろなことに「問題を発見」し、「解決策を考える」のだ。通学途中のバスの不便な点、学校の規則の不合理なこと、最近ギクシャクしているクラスの人間関係、なぜか伸びない自分の成績など、世の中には「問題点」が溢れているはずだ。それをそのまま放置せず、頭の中だけでも「解決策」を考えてみる。これだけでも小論文の思考法が身に付くはずだ。


【例題】
 ある学校で生徒会長選挙が行われることになりました。あなたが立候補することになったとして、立会演説会の原稿を書きなさい。

【悪い例】
 私は二年間、卓球部で粘り強さとチームワークを学んできました。このたび仲間の応援によって生徒会長という責任の重い役目に立候補することになりましたが、私なら卓球部で鍛えたリーダーシップを発揮し、生徒会をまとめていけると思います。また私が生徒会長になったら全校生徒一人一人の意見を尊重し、生徒による生徒のための生徒会を実現します。みんなが勉強や部活に頑張れるような活気ある学校をいっしょに作っていきましょう。

〈悪い点〉
・「一人一人の意見を尊重」して何をするのかが述べられていない。
・「みんなが勉強や部活に頑張れるような活気ある学校」をいま目指す必要性が述べられていない。


【良い例】
 本校では文化祭と体育祭が毎年交互に開催されます。学年によっては文化祭を一度しか経験しないため、文化部に入っても発表の場が限られます。同じように体育祭が一度しかない学年からも不満の声が上がっています。
 そこで私が生徒会長になったら、学校側と交渉して文化祭と体育祭両方の毎年開催を実現します。そのためにまず全校生徒の声をアンケートと署名という形で集め、さらに開催の具体的計画を発表するつもりです。

〈良い点〉
・文化祭と体育祭が毎年開かれないという、学校の問題点を発見、指摘している。
・署名を集めて学校と交渉するという、解決策が具体的に述べられている。

活動報告書、自己推薦書

Q:書くほどの実績がないんですけど。。。?

A:活動報告書や自己推薦書は「高校時代の活動と、それを大学生活にどう活かしたいかを述べよ」という形で求められる。これも志望理由書同様、「これまでの自分」と「これからの自分」で構成しよう。

 まず高校時代の活動実績。3年生の秋になってから「何も実績がありません!」と泣きついてくる生徒も少なくないが、たとえ地区大会二回戦敗退という微妙な成績だとしても十分書きようはある。
 大学が見ているのは実績ではなく、「その経験から何を学んだか」だ。
 たとえば、地区大会二回戦敗退の野球部も、地区大会で一勝する前はもっと弱くて情けない時期があったかもしれない。チームがバラバラ、やる気もなし、しかも全員初心者といった具合に。そんな過去があるとつい隠したくなるのが人情だが、弱小チームが一勝できるまで成長するには必ず何らかの工夫や変化があったはずだし、メンバーもそこで何かを学んでいるはず。そのプロセスを書くべきなのだ。
 そして、「学んだこと」は具体的な言葉で述べること。ダメなのは「精神力」「友情の大切さ」「努力は裏切らない」といった、よく使われて手垢にまみれたフレーズだ。これらは、誰でも書ける。本当は何も学んでいない奴でも書ける。だから信じてもらえないし、ほとんど評価されない。
 むしろ「人は三日くらい寝ずに練習しても死なないことがわかりました」の方が、実際にやった本人しか言えない言葉だけにリアリティがある。「精神力」の凄さが伝わる。
 「名言は自分で発明する」くらいの志を持とう。

 そして後半の「今後にどう活かすか」。ここでは志望理由書と同じように大学での勉強と将来の職業をリンクさせよう。たとえば「三日寝なくても死なない」ことがわかったのであれば、「ジャーナリストになって24時間動き続ける社会のニュースを追いかけたい」でもいいだろう。「自分の態度によって相手の態度も変わる」ことを学んだのであれば、「保育士になって子供の心を開かせる」というのもいい。些細なことでもいいので前半と後半の接点を見つけること。読み手は一貫性のある書き手を信用するものだ。


 参考までに活動報告書のサンプルを紹介する。

【悪い例】
 私は三年生の時、校内の英語スピーチ大会で三位という大変素晴らしい成績を取った。この大会はグループの対抗戦で、大会までの二週間、私たちは放課後遅くまで残って準備をした。私は自分の英語の練習だけではなく、リーダーとして4人のメンバーをうまくまとめ、その責任を果たしたと自負している。ここで培った英語力と精神力を大学入学後も活かしていきたい。
 大学入学後は経営学を専攻したい。いま起業が大ブームである。私も自分で会社を起こし、ビジネス界に新しい風を起こしたい。そのために必要なのは人脈作りだ。勉強ばかりするのではなく、サークルや飲み会にも積極的に参加し、将来のための人脈を作っておきたい。だからこそ、たくさんの学生が集まるこの大学を志望するのである。

〈悪い点〉
・「校内三位」なのに「大変素晴らしい」は大げさ。
・メンバーをどうまとめたのか、具体性がない。
・結局学んだのがリーダーシップなのか英語力なのか精神力(?)なのかわからない。
・「精神力」が何を意味するのかわからない。
・起業することがどのような社会貢献になるのか、全く考えていない。
・「サークルや飲み会」ばかり頑張りそうなのでマイナス。
・この大学を選んだ理由に「人数」しか挙げていない。

【良い例】
 高校三年の時、校内でグループ対抗の英語スピーチ大会が行われた。私のグループは当初、メンバー各自がやりたいテーマを主張して揉め、一時はグループ崩壊の危機にあった。しかしリーダーである私が自分の意見を抑え、メンバーに資料作りや原稿チェックなど各自が得意な役割を与えたことで争いは収まり、協力する態勢ができた。結果は三位だったが、私はこの経験から「リーダーシップとは適材適所を判断すること」だと学んだのである。
 大学入学後は経営学を専攻したい。将来、障害を持つ人たちが働き、精神的にも経済的にも自立するための会社を作りたいからである。それぞれ障害の種類や程度が異なる障害者に自分の持ち味を発揮して働いてもらうためには、一般の会社以上に適材適所を考える必要がある。そのため単なる経営の知識だけではなく、ゼミや研究室の仲間との共同作業を通してチームワークやリーダーシップにさらに磨きをかけていきたいと考えている。

〈良い点〉
・リーダーとして工夫したことを具体的に書いている。
・学んだことを自分の言葉で書いている。
・「適材適所」をキーワードに前半と後半が一貫している。
・「経営学」と「会社設立」の社会的意義を述べている。




志望理由書の必勝法

Q:志望理由書といっても、ぶっちゃけ大した理由なんてないんですけど、適当に埋めちゃマズいっすか?

A:志望理由書や自己PRの基本は「これまでの自分」と「これからの自分」を語ることだ。人は「これまで」を語ることで信用され、「これから」を語ることで期待される。志望理由書とは、大学の教授から信用と期待を勝ち取るための1枚の紙なのだ。適当に埋めるなんてもったいない。

 「これまでの自分」とは、志望する分野に関して自分がどんなことを考えてきたのかというもの。たとえば法学部であれば、社会や政治に関するニュースやいままで読んだ本、自分の経験から「自分が考えてきたこと」を述べる必要がある。「考えてきたこと」といっても「楽しかった♪」という話ではない。「何が問題となっていて、自分はそれをどうしたいのか」という“問題解決”の視点が必要だ。
 普通の高校生はここでうっかり「中学校の頃、こんな出来事があって・・・」と思い出話を始めてしまうが、必ずしも体験談を書く必要はない。どんな劇的な体験でも、そこから「考えたこと」がお粗末であれば合格は難しいはずだ。そもそも字数が限られていることが多いので、体験談を書くスペースはないと思った方がいい。

 そして「これからの自分」。これは「大学で学びたいこと」と「卒業後の職業」の二つを必ず満たすことが必要だ。
 「大学で学びたいこと」は大学のパンフレットに書いてある科目の名前をそのまま書いてもダメ。自分がいま知りたいことを自分の言葉で書こう。たとえば「経済学概論1」ではなく、「なぜ小麦の価格が高騰しているのか」などと書いた方が、自分の頭で考えていることをアピールできる。
 間違っても「サークルやバイトも頑張ります」などと書いてはいけない。それが本音であったとしても、ここでは書かないという最低限のルールを守れる大人を大学は求めている。
 そして「卒業後の職業」。もちろん職業の希望など、大学の4年間でコロコロ変わるものだ。しかし現時点で職業について言える人と言えない人では、4年間の過ごし方もその後の人生の送り方も大きく違ってくる。いま全国の大学が頭を痛めているのが学生の就職率低下だ。大卒のフリーターや派遣社員が増えている中、正社員としての就職率は大学の評判を大きく左右し、経営にも関わってくる。このような大学の事情があるからこそ、職業をはっきり言える受験生はそれだけでかなり優位に立てるのだ。



 参考までに、志望理由書のサンプルを紹介する。

【ダメな例】
 私は貴大学文学部の心理学科を志望する。もともとは親に勧められた法学部に行きたかったのだが、心理学を専攻した先輩の話を聞くうちに、キャンパスライフの楽しさを知り、心理学科に進みたくなったのである。また、心理学科は他の学科より就職しやすいと聞きます。いま日本は格差社会となっている。下流にならないためにも、私はここで手に職を付け、自立した大人になりたい。
 以上より、私は文学部心理学科を切実に、真剣に志望するのである!

〈ダメな点〉
・「もともと法学部」「親に勧められた」では文学部を志望する意思があるとは思えない。
・「キャンパスライフの楽しさ」はサークルや学食の美味しさも含む。それより心理学という学問の話を書こう。
・「就職しやすい」「下流にならないため」は自分の経済的安定ばかりを考えている。何の仕事で社会の役に立つのかという視点が全く欠けている。
・「切実に、真剣に!」本気かどうかは、やりたいことを具体的に詳しく言えるかどうかに表れるものだ。大げさな言葉を使ってもダメ。


【良い例】
 私は将来、臨床心理士の資格を取ってスクールカウンセラーになりたい。いま日本の子供たちはいじめや児童虐待など大変厳しい環境に置かれている。心に傷を負った子供たちが助けを求める相手が必要とされているのである。
 私が関心を持っているのは、家族関係が子供の心理に与える影響である。また日本より家庭崩壊が早く進んだ米国の研究成果にも興味がある。卒業後は大学院に進み、より高度なカウンセリングの手法を研究していきたい。

〈良い点〉
・「スクールカウンセラー」という職業をはっきり言っている。
・子供たちの現状についての問題意識を述べている。
・調べたい疑問を自分の言葉で述べている。
・卒業後のプランも明確。




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